Cross 2






「待てよ、忍足っ!」

紅い痕を忍足の首筋に見つけた跡部は、何も言わない忍足を追いかけた。

追いついて、彼の腕を掴んだ。

「何でもあらへんっていったやろ」

「それが気にいらねーんだよ。てめぇは…俺様の恋人だろ。知る権利はあるぜ」

忍足は深くため息を吐くと、掴まれた腕を振り払った。

「千石と付きおうてたの、何で黙っとったん?」

千石についてはあまり良い噂は聞かない。

手当たり次第ではないが、恋愛は豊富。跡部と引けを取らないが。

あの軽い性格が災いしているのか、長続きしない。

そんな悪いというか、よくないイメージの噂しか流れてこない。

それでも千石に恋人が出来るのは、あの性格もあるのだろう。

「何だよ。お前それで怒ってんのか?」

跡部は内心、くだらない≠ニ思った。

そんな理由ごときに?

それが少し顔に表れてしまったのか、忍足は再び、跡部に背を向ける。

「お前のとばっちりや……」

忍足はそのまま、また歩き出した。

忍足の不可解な言葉に跡部は頭を痛めた。




そして、…翌日。

「なぁ、跡部。侑士来てねーんだけど…何か知ってる?」

その日は朝練があった。すでに練習は始まっていた。

しかし、その場には忍足の姿がなかった。

いつもやる気がない忍足だが、故意に部活を休んだことはなかった。

「まったく、何やってんだ。あいつは?
出ないなら一言いえよ。俺が監督に怒られるじゃねーか」

実際、跡部は朝っぱらから榊監督にお叱りをうけた。

「跡部。お前は氷帝、二百人の頂点に立つ男だ。
部員の一人一人の面倒を見るのも部長の務めだ」

榊は跡部を怒るたびにそう、言う。

二百人の面倒は俺様でも無理だぜ…

と、思ってしまうのだが、レギュラーと準レギュラーとなると特に監督はうるさかった。




「…忍足…君、…今頃…練習…中じゃないの…」

氷帝学園の近くの公園。

その公衆トイレの個室から、つぶやくような声が包む。

「ん、ン……く…はぁ……ぅ…ふ……ン……」

中から聞こえるのは忍足の抑え気味の声。

そして…淫らな音と甘い吐息。

「…だ、…誰のせい…や、…誰の……」

会話を続けながら、千石は忍足を突き上げる。

そのたびに忍足の身体は跳ね上がり、髪を乱し、そして苦痛に顔を歪めた。

もう、何度目の行為なのか。気がつくと、千石と身体を重ねている。

一方的なものだが、肉体的苦痛ではなく、精神的苦痛の方が忍足を苦しめていた。

ほとんど強制的なもの。

忍足の気持ちの半分位はどうでもいいと思い始めてきた。

逆に跡部が知ったらどう思うのか。

悲しむのか。

泣くのか。

忍足を殴るのか。

自分を責めるのか。

それとも…目の前にいる男…――千石を殺すのか。

そう思い、その跡部の顔を浮かべるたびに胸がその分だけチリチリと痛んだ。

「くすっ、…忍足君の苦痛で歪んだ顔でさえ、俺には感じちゃうよ…」

千石は耳元でささやくと、耳たぶを噛んだ。

「ひぁっ!」

突然にやってきた、くすぐったいような、

気持ちの悪い感触に忍足の身体は大きく波打った。

「イクよ……忍足君……」

千石は忍足の中へと己がものを解き放った。

「楽しかったよ、忍足君。君の身体もようやく俺に慣れてきたよね。
今度は生の声を聞かせてくれると嬉しいな…」

千石は笑みを浮かべると、満足そうにその場から立ち去っていった。

忍足はその場にうずくまり、ただ、呆然としていた。


――跡部……助けてや……俺を…早くここから…救い出してや――

――
「はぁ……」

忍足は朝、目覚めるなり、深いため息を吐いた。

跡部と付き合って、かなり経つ。

跡部が山吹中の千石と付き合っていたのも知った。

ただ…そんなのは大したことじゃなかった。

跡部が誰と付き合っていたか、なんて……。

千石は忍足に近づいた。

背後から忍び寄るように…静かに牙を立てて。

『ごめんね。忍足君には全然恨みはないんだけど…ね』

千石は忍足を乱暴に地面に叩きつけながら、静かに声を出した。

そう…笑みをこぼしながら…。

忍足がイメージする千石とは違っていた。

おどけながら笑う彼はいつもと同じ。

でも…それ故に不気味で恐ろしかった。

そして、…千石は忍足の首筋に唇を落とした。

痕が残るようにわざと、強く。

『跡部君ってさ。独占欲が強いの知ってる?
だから、こうするとどうなるか…楽しみだよね。
あ、それと…俺もかなり跡部君には劣るけど、独占欲強いよ☆』

千石の瞳の奥で光る黒い輝き。忍足は怖くて、ただ…何も出来ずにいた…。
――
「跡部……俺は……何や…?」

忍足はポツリとつぶやくと布団を少しずつ濡らし始めた。

時計が八時半を指そうとしていた。


「何やってんだよ、あのバカはっ!」

廊下を横目で気にしつつ、跡部は何でもないように窓の外を見上げる。

そろそろ、学校が始まるというのに、忍足は来ない。

教室もクラスも違うが、忍足は五分か十分前には教室に入っている。

今日はたまたま、朝練がなかったが、最近の忍足はかなりルーズになっている。

と、いうか、跡部は自分を避けているような気がしてならない。

酷くなったのは、千石と忍足が何やら密会をしているような噂を聞いてから。

携帯も繋がらず、会うことも間にならない現状で跡部はかなりイライラしていた。

忍足に限って、千石に乗り換えることはないと思うが、千石の性格を十分ではないにしろ、知っている。

それに、あの時の忍足の首筋の痕と忍足の言葉…。


『お前のとばっちりや…』


確かにそう、言った。

千石が俺を恨んで忍足に痛い目に合わせているのか…。

いくつものバラバラになった破片を集めると、そう考えるのが妥当だが…。

「千石が俺を…恨んでいる?馬鹿な……」

跡部は無意識の内につぶやいていた。



『跡部君…。俺達、結構合うじゃん…』

跡部のマンション。

千石と付き合っていた時は泊まることなどしょっちゅうだった。

実際に付き合っていたのかは別として、一日の内に長く一緒にいたのは千石だったのは事実。

寝る暇もなく、ただ…無我夢中で身体を重ねていた…。

セックスへの興味もさることながら、初めての男ということもあったのか…は知らないが、溺れていた…。

変な言葉だが…その言葉が一番ぴったりだと思う。

あの時はそれだけでいいと思っていた。テニスを除けば。

男に溺れるのはおかしい話だが…千石に惹かれていたのは間違いなく、本物だった。

『俺は…まだ認めてねーぞ』

『だから言ってるでしょ。認めさせるまでセックスするって…』

そんな毎日が何気に過ぎて行き…俺は忍足に出会った。





「……君、……部君……跡部くん――」

フッと名を呼ばれ、跡部は遠ざかりつつ意識を現実に引き戻した。

クラスの全員が跡部に注目していた。

「どうしたんだね、具合でも悪いのか。しばらく保健室に行ってきなさい」

先生は珍しくボーとしていた跡部を心配して、そう言った。

跡部は先生に一礼すると教室を出て行った。

ガラリ

体調が悪いわけでもない。

ただ、忍足のことが気になって勉強に身が入らない。

とりあえず、跡部は保健室に向かった。

「ふっ、俺が…ボーとするとはな……」

自分でも珍しい症状に跡部は苦笑いをこぼせずにはいられなかった。

幸い、保健室には誰もいないようだった。

跡部は端のベッドに身体を預け…そして、意識が暗くなっていった。


ガラリ


「…何や。先生おらへんやないか…」

忍足はしょうがないといった顔で空いているベッドに腰を落とした。

「…気持ち悪い。吐きそうや……」

時間は十時を回っている。忍足は天井を見つめながら…思いにふける。

幸いにもベッド同士カーテンが引かれ、

誰が寝ててもわからないようになっている。


――――跡部――…―


「助けてや……気が狂いそうや……」

毎朝の日課になりつつある、千石との行為。

まるでストーカーのように現れては、無理を強いる。

逃げることは出来るはず…なのに。

それが出来ないのは…怖いから。

跡部を陥れるためには何でもしそうな殺気があった。

もちろん、跡部が男と付き合っているとかそういう行為をしていたという噂が流れれば、

彼の今までの地位が崩れかねない。

それにまだ、義務教育中の身ではなおさらだった。

ただ…守りたかった…現在ではなく…未来を――。

跡部と不釣合いな自分。

それでも跡部は忍足を抱きしめるたびに好きだといってくれる。

表現はあまり得意ではない跡部だが…忍足はそれだけでも幸せと感じていた。

跡部がテニスプレイヤーとして、大空に羽ばたいてくれるなら…

千石とのことも…苦痛ではないと思っていたのに…。

「跡部……俺は…」

日が増すにつれて、苦痛になっていく自分。

このまま…逃げてしまいたい。

好きでもない人に抱かれ、いや身体を汚され、

跡部という人質を取られたように身動きが出来ないでいる自分。

何よりも、跡部に全てを曝け出せるほどの勇気もない自分。

それでも…心のどこかで、助けてくれると信じたい自分がいる。


――跡部――


忍足は、唇を噛みしめながら、そっと愛しい名をつぶやいた。

「…許してや……こんな俺を…許して……」

忍足は身体に刻まれた千石の傷を拭うように

…跡部への想いを胸に描くとそっと…静かに抱きしめた。

隣のベッドには跡部が何も知らぬまま、寝息を立てて寝ていた。



つづく